学校と社会のギャップ

学校と社会のギャップに対してどのように生きるか。

アメリカでの自尊心の大切さについて。


こんにちわ。

三井生命さまのサイトからの引用です。

http://www.mitsui-seimei.co.jp/joyful/edu/004/index.htm

アメリカでは

Self-esteem(自尊心、悪く言えばうぬぼれ)がポジティブな意味で使われます。

すこしぐらいもっていたほうが健康だからです。

留学の初期段階から気になっていたことでもありました。


良い学校へ行くことが、仕事の現場での成果に直結しない…

そういう傾向が日本では認識されつつ、

現場で活用できるような専門学校に行く人も増えてきました。

「自分の夢のために」

幼いころから進路を絞って、特に進路を選びもせず、

専門的な学校に行くことはないではないか…という逆の意見もあります。

しかしその考え方こそが逆に成長の妨げになると自分は思います。


記事にあるように

「ピアニストになりたいならば、世界進出するために英語も勉強しないと」

というようにピアノのような専門的な学校に行くことによって、

個人的に多様な分野に興味を持つことができます。

それはピアノに自身、腕があってこそなりたつことだと思います。


ピアノのような専門的な体験(実戦経験)を幼いころから踏むことで

将来自分はこれを武器になにができるのか?自分だけの武器をどう装飾していくか?

その過程で一定の人生観も発見できると思いますし、自分のみのフィロソフィーも

必要になってくるはずです。


話はもどります。自分は特にSelf-esteemについて十分なリサーチをしたわけでは

ないですが、人とは違う、自分らしさが「高いか、低いか」で日々モチベーションは

変わると思います。

ピアノの技術習得中はもちろん「なにもない」状態ですから低いですし、

習得すれば高くなります。低いときは「だれにも邪魔されず」一人でコツコツと

やるべきです。

マーケティングの理論では「参入障壁」などの専門用語がありますが、

それを破るまでは誰にも頼らず、一人でやるべきなのです。

障壁を超えて初めて自分らしさを得るわけですが、それは誰とも自分を比べず

コツコツとやってきたからこその成果でもあります。


障壁を超えたあとは、参入前と「まったく別の習得方法」になります。

それが「武器を装飾」になるわけです。

英語を添加させたり、文化を学んでみたり、それを技術に反映させることもでき、

その中で人との出会い、比較も生まれます。

そうなれば面白おかしく、いろいろな知識がスイスイと頭に入ってくるものです。

その障壁を乗り切れるか、切れないか…重い問題ではあります。


苦しみ、低い自尊心の中、それでも自分らしさを手に入れようともがき苦しむ。

だれもやりたがらない、やろうともおもわない、そもそも不可能…。

そんなこと誰が気にするのか? そんなこと何の意味もない。おまえにそんな才能はない。


そんな言葉に負けず、自分に素直に、それでも這いつくばる根性で、

こつこつ亀のように日々生きる。かならず障壁の乗り切れるはずです。


それが人生であり、ストーリーをつくる第一歩だと思います。


学歴、社会、地位、格差、世間、常識

そういう固定概念をプラスにとらえて有効利用していくのは

なかなか難しいことでもあります。

ただ、いつも敵ではないことを頭に入れて置くべきだとも思います。


以上です。







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