幸せと真理

11月7日2014年

金曜の夜。かなり寒くなってきました。

そして引っ越しがだいたい終わりました…。

とくに彼女や友達と酔っぱらって寝ることもなく

日々の学校や仕事の忙しさを振り返っています。



学校も仕事も割と「和と輪」を意識するタイプなので
あんまり将来の目標のために
「自分がこうしたい」とかなく、今の環境の中で
学べるものは学ぶという感覚です。

ただまさに将来は「今がつくる」であって
最近は修理会社やビルの管理人と英語で話したり、
お客様も外国人が増え、付き合いが増えてきました。

英語で仕事をする。というのは英語で学校の授業をうけるというのとは
また違う刺激があり、この一か月はすごく楽しかった。

しかしそれでも英語の壁は圧倒的に厚く、
さらに仕事での体力もなくては続かないし、
心の余裕や精神力、職務経験の差が思い切りでるのが
日ごろの人間関係であり
また能力があるからといってない人より良いと判断されるものでもない。

今は楽しい、幸せ。
それは何が根拠の幸せで、それがどれくらい将来続き、
それが自分の目標とどう関係するのか。

過去の自分は幸せだったのか、
本当は不幸なのに幸せだと思っていたのか。
幸せだったに不幸だったと思っていたのか。

幸せな時の人のモチベーションは高い。
幸せの根拠を追求することで真理に近づく、そして奇跡はかならず起こる。

奇跡はその人が無意識におこしているに違いない。

それは入念に考えられた、しかし理屈では通らない人間としての
しっかりとした哲学に裏付けられ
自分をサポートしてくれる。

学ぶことで自分の生き方が損なわれる、自分がいなくなる。
それは違い、学ぶものの組み合せとそれに基づいた実践によって
あらたな考え方が生まれ、それが自分になる。
問題に直面したとき、過去の自分を忘れず、純粋に自分が
「楽しんでいたもの」を具現化することは
10年以上前にやっていたことでも心は忘れず、今にもってこれる。

自分にあったことを見つける。ただ武器は多い方がいい。
高望みしたり、人のまねをして自身を失ったり、悔しくて努力したり、
足りないものを求めたり、全部できたいと思ったり…

しかしそうやって結果としては
1番にならなくてもいいからある程度すべてできていれば
バランスが保て、ある程度平均の人間が到達する境地には立てる。

ただほとんどの人間が平均の人間で終わってしまうのは
そのなかで自分の夢を固め、哲学を磨き、自分らしさを表現できないからだと思う。

絶対に突出できる自分らしさとは
「他の誰にもできない、誰からも認められること」であり
その信念を貫くなかで生まれる。

信念をサポートできるのが、バランスの取れた総合力と余裕。
良い人間関係。
信念は儚い、若いうちに到達できるそんなものはそのうち果てる。
果てる前に信念をアップデートする。

だれも追いつけない自分だけの信念。
バランスに乗った、バランスの上の信念。
そこに花がさき、階段のように上ることができるのだろう。

すべては家族、恋人、仲間、町の人、環境の恩恵によって自分がある。
一日一秒でも彼らに感謝しないこと、自分が不幸であることは
本来ならば許されない。

どうすれば彼らが真の幸せを手にいられるのか、
死ぬ気で考えようと思う。












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