金で人を助けるということについて

世の中には困っている人たちがたくさんいる。

しかも性格の悪いのではなく、すごく頭のよく、正義感の満ちた人間も
今の社会の至らなさから不幸になってしまうケースこそが
人類の不幸であると考える。 そして助けることには責任が伴う。

お金だけでなく愛情、仕事、家、素直で良い人間たちをどうすれば救うことが
できるのか。




救済ファンド…普通に生活してるだけでそういうファンドは耳にする。

例えば、アメリカのFEMA(フィーマ)。

知人がすでに資金を投資したり、ハリケーン時に助けられたりしている。


世界の資産をむさぼり独占するリッチと衣食住すらままならない子供たちの

話をすると長くなるだろうけど、

底辺の人間を助けることで世界が平等になり、頑張る人の意欲をそぐことになるとは
思えない。

例えば食糧を貧しい人に与えることを条件に、地域の開発に貢献させるとかの
自由な条件や多彩な仕事をあたえるプログラムを作ったりその成果を公表するとかいろいろ方法がある。

ただそれが世界に行き通らない、未だに子供の餓死などがアフリカなどであるのは
根源的な「悪意」「嫉妬」などを払拭できないからであり
先進国へ対するテロなどは「衣食住だけでは満足できない」「もっと技術、平等なものが欲しい」などという依存行為であるようにも思える。

下手に助けることが逆効果であり、
一度助けるのであれば最後まで責任を持つのが人間であると思う。

ただ大切なのは、「一度助けてみる」「なんとなく助けてみる」ことでもあると
思う。矛盾しているが、「最初から最後まで助けるつもりで投資」することなんて
困った人間を見た瞬間、一瞬で判断できるのか?
だいたい困っている人は「明日すらないかもしれない」のである。
そこで一瞬の判断を誤まれば、助けられるCapabilityを持った人間は一生後悔することになる。

最後まで助けられるかわからないものに投資する。
だから心配し、共感し、アイディアを交わせる。
そして図り切れないPotentialを引き出せる可能性もある。

最初からその金額で救済できるなんてことはない。
そんな無機質な救済をされれば、日本のニート以下、生きるしかばねになる可能性すらある。

資金による救済を「きっかけ」にし、根本的な救済をするかが、
一番重要になってくると思う。

それは神の聖書の方法でもいいし、仏教でもいいし、モハメットでもよい。

マズローの5大欲求にしたがうとわかり易い。

1、衣食住 2、安全 3、愛とつながり 4、自己尊重 5、自己実現

とくに4,5は教育が必要であり、その後は仕事につかせ自立させることが
大切である。

そういったプログラムが、粗くてもいいから実現できればと思う。





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