差異の価値づくり

外国人観覧者には申し訳ありませんが、

英語は苦手なので日本語で書きます。

http://oshiete.goo.ne.jp/qa/1825775.html

先ほどのフェイスブックのポジション、

違う地区の友達の雨に対してのネガティブな気持ちを共感する

ユニークなポジション。

自分なりに「なんと一言で表せばよいのか」と思いましたが

頭が悪い自分では「形而上」が精いっぱいでした。

形而上+広告で検索したところ引っかかったのが上記のベストアンサーです。

面白かった話を以下にコピペします。

すごい教材を使用されていますね。大学受験レベルなんじゃ。。。
もしかしてその文章の出典は『ヴェニスの商人の資本論』(岩井克人)でしょうか?

No,1の方の説明が正しいと思うのですが、もっともっと噛み砕いてみると。。。

まず「形而下学」は形あるもの、目に見えるものと解釈してください。それに対する「形而上学」は形のないもの、目には見えないものということになりますね。人間の視点や物理的なもの(形而下学)に対する神の視点や精神的なものが「形而上学」と考えることができると思います。



あと、ソシュールの言語論も把握すると、理解が深まると思います。

人間の頭の中で考えることって、区切りがつけられず【無限】に広がっていきますよね。世界や宇宙だって、区切りがつけられず【無限】に広がっていく存在です。人間は他人に対して、そういうものを表現して、考えをわかってもらい、指し示しているものを共有しようとします。

その「表現」の際に使われるのが「ことば」ですよね。ことばで考えを説明し、ことばで指し示しているものが何かをわかってもらおうとします。

けれども、ことばは【有限】の音の組み合わせですよね。「椅子」ということばがあれば、「い」という発音と「す」という発音の組み合わせです(厳密には違いますが)。発音できるものは【有限】というのは、五十音表を見てもわかると思います。

ここで矛盾にお気づきでしょう。我々は、無限の世界を有限の言葉でしか説明できないのです。

そうすると、ことばはある一つの意味を指すのでは使い切れません。ことばに複数の意味や広がりのある意味をもたせないと、無限の世界を表現できなくなってしまうのです。ことばに対してモノが一対一の対応関係をもつことはないのです。

たとえば「犬」ということばを聞いて、あなたと僕とが思い浮かべる「イヌ」は別のものでしょう。それは、「犬」という言葉が意味するものが広い範囲のものをカバーしているからです。

じゃあその範囲ってどこまでって考えると、それはあいまいなイメージでしかないのです。範囲を確定しようとすると、「狼」でもなく「豚」でもなく「猫」でもなく「馬」でもなく…と、延々と「犬ではないもの」を消去していくことしかできません。

ことば一つ一つの意味にはこういう広がりがあるわけです。すると、ことば一つ一つには意味はなく、他のことばとの違い、つまり、【差異】によってしか意味をなさないということがわかると思います。これを裏返せば、「差異が意味をつくる」ということになります。



ソシュールの話が長くなりましたが、重要なのは最後の段落です。「差異が意味をつくる」という結論が出ていますが、「広告の形而上学」でも同じようなことが言われてないでしょうか。

広告は「形がない」ものです。「形のない」商品、つまり形而上的な商品です。それが商品として成り立つのはなぜなんだろうと考えると、他の広告があって、その広告と違いがあるから商品として成り立つわけですね。広告同士の差異が広告の価値を決めて、商品として売れるわけです。たくさんのあふれる広告の中では「差異が意味(価値)をつくっている」わけですね。



なるほどと思いました。

ただフェイスブックの場合、広告の絵を変えるとかいう次元の差異の作り方をしていない
ですよね。

圧倒的に常識を覆す、人間の真理のツボを得るようなマーケットニッチのとり方。

他と違いを作るというより、新たなものを作る発明家となりました。

このような異形かつ、流行っている今でも正しい使い方の理解が浸透していない

未知の産物は、扱い方によって大きく世の中、人の文明社会を変えると思います。


Comments

  1. 補足ですが、言語のように私たちの社会はまだ、限られたものしかありません。そういって差異を作って補っているうちに、フェイスブックにより新たな言語が生まれるのだと思います。またそこから差異を作る要素が増え、地球文化も宇宙と同様、膨張いていくのだと思います。

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